週に一度、声が枯れる。

幼いころから剣道をやっている。

現在24歳。2段。贔屓目に見ても年相応の結果とは言えないだろう。それについて一つ言い訳をさせてもらうとすると、中学、高校は剣道部ではなく、大学でも剣道をやっていない。中学で段を取得して以来、社会人となり、再び始めるまでにブランクが存在する。

そんな中学卒業以来の時を経て、社会人となり再び始めた剣道には、心身ともにとても救われている。

 

週に一度大きな声を出す。大きな声を出すことに慣れていない私の声帯は、開始20分で限界を迎え、40分を経過すると、声が裏返る。しまいには、24歳にして毎回声変りをする始末だ。

幼いころ、とても怖く強かった先生は、今でも強い。最強だ。昔と今で違うことといえば、とても怖かった先生は、まっすぐでとても優しい先生だということと、体格でも、力でも先生に負けなくなったということ。

稽古が終わると、当たり前のように毎回先生が皆の予定を聞き、予定の合う次の土日のどちらかに道場の予約をしてくれる。毎回全身全霊で取り組み、充実した稽古が終わると、次の週の約束が決まる。剣友会が解散してからもずっと、有志で集い続けてくれる。なんと幸せなことなんだろう。これだけで、一週間乗り切ることができる。

 

私は、自己肯定感が著しく低い。今日なんて引くほど低くて大切な人をも困らせている。

剣道では、落ちることはほぼ無いといわれている初段にさえ落ちた男だ。道場ではそこそこ綺麗な剣道をしていた。誰からも太鼓判を押されて出陣した私は、一番自信のあった実技で落ちた。周囲はその予想外さに落胆し、ざわつく。周りの知らない中学生たちは、友達同士泣いたふりをして、落ちたふりをしたりと、からかい合いながら中学生らしく楽しそうに通り過ぎていく。あの光景は、今でも鮮明に覚えている。

それから一年はショックのあまり稽古に行かず、荒れ狂った生活を送った。いま思うと、本当に幼く酷かった。

高校大学では、陸上部に所属し、駅伝の選手をしていた。もちろん大学では、お正月の風物詩の一員になることも何度も妄想した。しかし、学習能力の低い私は、高校大学でも同じ過ちを繰り返す。

結果は残せないどころか、負の連鎖にはまり、精神を病む時期も長く続いた。

 

そんな、私は、社会人二年目から剣道を再開し、つい最近では、ランニングも再開した。

今では、ストレス社会で生きる私にとってこれら二つは自分に勇気と元気を与えてくれる存在となった。自分を今まで苦しめていた経験が今の自信になっている。皮肉なことにも。

 

つらつらと自分語り。

これはこれでいい。これは日記だ。マスターベーションだ。