久方ぶりです。
前回の更新から、早いもので2年の月日が流れたらしい。
ずっと放置したままだったこの場所に、ひょんなことからログインしてみた。
動くはずのない、化石のようなアカウント。
それなのに、私の想像を遥かに超える数の瞳が、この場所に留まった形跡を残していた。
思わず、声を出して笑ってしまった。
私のこんな偏屈で、どこか独りよがりな思考の断片が、世界という名の荒野に今も垂れ流されている。
そう自覚した瞬間に込み上げてくるのは、冷や汗のようなゾワゾワとした感覚と、それでいて、暗闇のなかでかすかな体温に触れたときのような、妙に心地よい高揚感だった。
世界は、4年の歳月をかけて、それなりの速度で変化した。
街の景色も、人々の距離感も。
そして、私の日常も。
結婚してもう何年かが経ち、子どもは今年で二歳を迎える。
マイペースに毛並みを整える猫は、我が家において、もはやいて当たり前の存在だ。
そして、この慌ただしい期間のあいだに、私たちは家も建てた。
どうしようもない不規則な軌道を描いて生きてきた自分にも、これほどの変化という名の重力が働く。
思いの外、物事は進んでいる。人生というシステムは本当に侮れない。
それでも、人間の本質――私を私たらしめている「バグ」のようなこだわりは、何一つ変わらない。
決まりきったルーティーンを外れると途端に足元が狂う不器用さ。
人の顔色を窺い、他人の感情のさざ波に自分の心が同調して削られていく、あのひどく繊細で、面倒な気質。
極度の潔癖。奇数に対する形容しがたい嫌悪。
外側の景色がどれほど鮮やかに、強固に塗り替えられようとも、中身のアップデートはそう容易ではない。
私たちはいつだって、自分という古い器を引きずりながら歩くしかないのだ。
言葉、というものについて考える。
私は昔から、対面で放たれる直接的な言葉を、上手く心の奥に収納することができない。
どれほど熱いアドバイスも、どれほど優しい慰めも、鼓膜を震わせた瞬間に、右から左へと通り抜けていってしまう。言葉の質量が重すぎて、受け止めきれないのかもしれない。
けれど。
誰かが推敲し、削り、夜の静寂のなかで紡ぎ出した「文章」となると、話は全く別なのだ。
最近、知人の書いたブログやnoteを、いくつか読む機会があった。
スマートフォンの冷たい画面に浮かび上がる、その人の呼吸が混ざった文字たち。
誰に宛てたわけでもない、けれど誰かに届くことを祈るように書かれたその静かな文章は、私の心のいちばん柔らかい境界線を、いとも簡単にすり抜けて、その琴線を激しく、優しく震わせた。
言葉で言われたことは響かないのに、文字として置かれた言葉には、どうしてこれほどまでに体温を感じてしまうのだろう。
行間から立ち上る、その人の揺れる感情の色彩に、どうしてこんなにも目を奪われてしまうのだろう。
その時、思い出したのだ。
かつて私が、この場所で、ただ自分のためだけに文字を紡いでいたあの感覚を。
いつだったか、行きつけの蕎麦屋のカウンターで、隣に座った女性の手元で「揺れていたハイボール」。
あの琥珀色の液体がきらめく一瞬に、日常の退屈さと、ほんの少しのエモさを見出していた、あの頃の自分の視線を。
誰かの書いた文字に心が震えたように、私のこの偏屈な文字もまた、世界のどこかにいる誰かの琴線を、かすかに弾いているのかもしれない。
そう思うと、ふつふつと「また書きたい」という欲求が湧き上がってくるのを止められなかった。
今日も私は、いつものように自分の領分である愛車のハンドルを握り、移動のなかで一日を過ごしている。
昼間は、県内各地から同業者が集まる、とある研修会があった。
日中の真面目な講義、そしてその後に用意されていた、お決まりの懇親会。
同じ業界に身を置き、同じような課題を抱えているはずの参加者たち。彼らが熱っぽく交わす言葉や、どこか予定調和な熱量を、私はどうしても一枚の分厚いガラス越しに眺めるような、ひどく冷めた目で見てしまっていた。
もちろん、大人の仮面を被る術は身につけている。そつなく、失礼のないように、求められるロールは完璧に演じきった。
けれど、私のパーソナルスペースは、彼らの熱量に1ミリも同期することはなかった。
私はやはり、どこまでも馴染めない側の人間なのだ。
懇親会から解放された後も、私の車移動の一日は簡単には終わってくれない。
一度帰宅したものの、夜の9時過ぎからは、これまた取り纏めをしている地域の青年活動の会議に出席するため、再び車を走らせた。
つい先ほど、ようやく全ての予定を終え、深夜の静まり返った道路を滑るように走って、自宅に帰り着いたところだ。
お気に入りの音楽と、適温に保たれたエアコン。他者に侵食されることのない、閉ざされた車内。
結局のところ、私は車という「移動するパーソナルスペース」のなかにいる時が、いちばん息がしやすい。
外の世界で果たすべき役割を、そつなく、けれどどこか冷めた視線を抱えたままこなし続ける日々。
マイホームを手に入れ、守るべき家族がいて、私の根っこにある「馴染めなさ」は、相変わらず不器用なままだ。
それでも、この揺れる日常の隙間からこぼれ落ちるものを、これからはまた、少しずつ文字としてここに置いていこうと思う。
誰かの琴線に、届くかどうかはわからない。
けれど、深夜の静寂のなか、愛車のパーソナルスペースから引き継いだこの私の「回想」が、いつかあなたの静かな夜の、ささやかな温度になりますように。
それでは、また。
道半ばの途上から、ぼちぼちと。