決意表明

時間は本当に有限なんだね。

 

長いと思っていた大学4年間もあっという間に終わってしまったし、社会に出てから二度経験した年末年始の連休も今振り返ると「3日くらいしかなかったのでは?」と時空の歪みを感じる。

 

そして、社会に出てから三度目のゴールデンウィークも終わろうとしている。

長期休みを経験するたびに、時間は有限なんだと再認識させられる。

再認識し、「次回の長期休みは時間を有意義に使おう」と決意を新たにするだけで、特段行動に移せるわけでもなく。。。「歴史は繰り返す」、クルティウス=ルーフス、嗚呼、貴方の言葉が我が身に染みる。

 

連休中は世相の情報をロックダウンしていたため、いきなり職場に行っても「PCのつけ方も、むしろ自分の席も分かりません」状態なため、本日夕方は世相の最新情報をひたすらインプットしていた。

これでどんな問い合わせにも、自信をもってお応えできる。

誰も連休明けの人間だとは思わないだろう。

 

閑話休題

社会人になってから時間の流れが酷く早い。

必死に目の前の仕事と戦っているだけで、もう齢は25目前まで差し迫っている。

このままでは、何もしないまま、あっという間に齢30を数えてしまう。

 

当初の私の目的は、社会保険労務士を取得し、ゆくゆくは事務所を立ち上げるぞ。

というものだったが、人生のレールがかなり逸脱してきてしまっている。こんなことをしている場合ではない。早急にレールの組み直しをしなくてはいけない。

 

ただ、今の自分の実力ではまずなれるわけもなく。現実的に今できることは、目の前の仕事と戦い、企業や経営の在り方を学んでいくことくらいしかできないだろう。

仕事をしていくうえでも、発生した事柄に対して事例を吸収するという受け身な面がとても強いので、かなり成長スピードが遅いとも思う。

 

そこで、資格として必要かは別として、短期的な目標を設けることにした。

足の裏の米粒と揶揄されるが、一つの目標として国家資格の中小企業診断士の勉強を始めようと思う。

これで仕事をするしないは別として、勉強内容と実務がマッチしている部分が多いことが魅力。

これで仕事において、受け身ではなく、能動的になっていければとも思う。

 

 

今までは、

山岳耐久競技頑張りたい!

ピアノも弾きたい!

好きなことしたい!

仕事は嫌い!

 

て感じだったけど、世相を見ると、自分の中の比重を改めなくてはいけないタイミングが迫ってきている気がする。

そのことに関しては、多くの思うことがあるけれども、長くなるので次回へ。

 

 

明日から仕事嫌だな。

言うてもね、魔法カード「有休」を金曜日に使ったから、明日乗り越えたらまた休みなんだけどね。(糞)

 

 

 

VS想い出

家の中の事情やその他色々な事情により、何年かに一度、部屋から部屋への大移動を行う。

そんな今回の連休も大移動の時期がやってきた。

 

部屋から部屋へ荷物を移動する。

毎回の作業中「また、今回もいらぬものが増えてしまったなあ。」と感じる。

ただ、自分の買ったものならば、「次はお金を大切に使えよ俺」と呟きながら捨ててしまえばいい。

しかし、想い出の詰まったもの、人と時間を共有したものなどはなかなか捨てられないんだよね。

 

部活の想い出、数少ない友人たちとの想いで、これまで、付き合ってきた方たちとの想いで。。。

それらのモノを断腸の想いで選別することが断捨離なんだろうな。

毎回、部屋の引っ越しのタイミングで、「よし!断捨離するぞ!」と息巻いて取り組むが、毎回うまくいかない。

 

そんな作業中、一番最初に先行する思いは、「辛い」だ。

いるいらないを選択することや、その作業に取り組むことは、全くめんどくさくないし辛くもない。

 

忘れていたモノでも、見ればある程度その時の感情がよみがえる。

良いことも、苦いことも。

それらの過去の感情に勝てない自分と向き合うことが「辛い」と感じてしまうんだろうな。

 

まぁ、はい、言い訳ですよね。

 

今を生きるだけではなく、いつかちゃんと自分の想い出たちとも向き合っていきたいな。

新世界

最近言葉を綴りたい欲が溢れている。

昨日寝る前グダグダ書いたのをキッカケに塞き止めていた欲求が心から流出し、身体を流れ今指先を動かしている。

 

自粛生活が続くなか、思っている以上に自分の生活に変化がなく世の中の出来事が画面の中の出来事のように感じる昨今。

 

とりたてて変化した生活習慣としては、外で飲む機会が減ったことくらいだろう。

 

もともとプライベートで人と遊んだり出掛けることなんて稀だ。

 

自分の生活に特になにも不自由を感じていなかったが、自粛が要請されるなか特に変化のない日常に、これまでどれだけ人との接点が薄く生きて来たのだろうと感じさせられた。

 

今まで全く気にすることのなかった点が論点となり、攻め立てられている気分だ。

まぁいい、反論するつもりもない。

 

今後、社会のあり方は変わっていくのだろうか。

不要な飲み会、人との関わりが整理され、外を出歩くことなく物事が室内で完結する。

 

本当に必要な時、本当に必要な人の取捨選択を迫られる時代になるのかもしれないね。

 

そうなってほしいと少し願う自分もいるが、きっと世界は変わらず、進んでいくんだろうな。

カッコ良く生きる。

今週も通常通りの勤務。

 

時世に忙しさが左右される仕事なため、現在はとても忙しい。

まだまだ、これからもっとハードになっていくんだろうな。

でも、もっともっと大変な人たちや苦しんでいる人たち、危険と隣合わせの人たちがいる。だから、普段はこんなこと口には出さない。

でも、ここで書くくらいは許されるかな。

 

ハードになればなるほど、自分の出来ないことが浮き彫りになってくる。

反面、出来ることもどんどんと増えていく。

だけども、やっぱり出来ないことに対しての後ろめたさが心の中で目立つ。悔しいなぁ。

一朝一夕で出来ることではないのは百も承知であるが、もっともっと自分の能力や経験を伸ばしていきたいな。

 

今年に入ってから、新しいことばり。

できないのをわかった上で、一歩踏み出すのはかなりエネルギーがいる。

それでも、足踏みしてしまったら負けだ。

別に勝ち負けじゃないし、良いんだけど、自分のポリシーでもある、

「カッコ良く、真っ直ぐに、生きる」ことに反することはしたくない。

 

出来ない可能性のある物事に突っ込んでいき、血肉にしていく。自分の能力で処理出来ないことがあれば、上司に頼り、フィードバックしてもらえばいい。

簡単な事だ。でも、リリースポイントの見極めや、忙しく動いてるなか教えをこうのは心が疲弊する。

上司はそれでも、真っ直ぐに答えてくれる。

自分も上にたつようになったら絶対にそういう風に人と接していきたいな。と、思うこの頃。

 

 

本気から娯楽。

娯楽は経済が回って、人間がまともに生活できて初めて成立するものなのだと、最近強く痛感する。

 

今まではあって当たり前のものだった、余暇の楽しみである娯楽を、手放しでは楽しめない近頃。

今までの何も気にしないで生きていた日常がいかに幸せなことなのか、と。

 

普遍である幸せ。

やりたいことの選択権が自分に存在する幸せ。

時間をもて余せる幸せ。

 

多くの人間が無い物ねだりであり、欲求に対してとても前向きなのがよく分かる。

それと同時に、多くの人間が制約に対して後ろ向きなこともよく分かる。

 

かくいう自分もその一人。

 

今月末には、山の中を50㎞走るレースがあり、それは今年一番楽しみにしていた大会だ。

昨年そこそこの記録を出すことが出来たため、今年は上位を狙おうという気持ちも固めていたが、中止を余儀なくされた。

 

 

中止の速報を聞いたとき、自分の中には安心感が広がった。

自分の楽しみよりもリスクを回避することを心が優先した。

 

仕事に穴をあけてはいけない。

体を壊すわけにはいけない。

家族にも迷惑をかけたくない。

 

そのためには、限りなくリスクは避けて通る。

知らず知らずのうちに、ここ数年で自分の中の優先順位は大きく入れ替わっている。

 

一年前までは、スポンサーを獲得したいとも思っていたが、その気持ちも今は枯れつつある。

 

 

 

0か100でしか考えられない自分は、競技に対しても、辞めるか最強の市民ランナーを目指すかしか残されていない。

 

今後競技に取り組むにはそれ相応の覚悟が必要。

 

何事も中途半端ではやりたくないね。

 

 

 

 

つつしみ。

ここは、自分の気持ちが混沌とした時にやって来る。

文字を書く時は、いつも混沌とした時なんだ。

 

自分のやりたいことがわからない。自分の気持ちがわからない。どうしたらいいかわからない。善悪の判断が出来ない。漠然と不安でたまらない。寝ることができない。

 

自分のゴチャゴチャとした思考を、文字にして、可視化すると自分の悩みや感情がとても陳腐に感じる。

「なーんだ、こんなことをグダグダと考えていたのか。」と。

 

頭の中では、平行して沢山の物事を考えてしまう。文字に起こしている時間は、1つのことを考えることができる。

 

ある意味ネガティブでできているこの空間を、好きだと言ってくれる人が何人かいる。

 

そういう人たちとは仲良くなれる気がするし、仲良くしていきたいと思う。

その中の何人かは、実際にとても仲いい友人たちだ。

 

明るく太陽のような人よりも、影がありつつも、しっかりとその影と共に生きている人に人間味を感じる。沢山頭を使って生きている気がする。脆くてもちゃんと強く芯がある気がする。

 

でも、そんな人たちはすごく心に疲れをためながら生きているんだろうね。

 

みんな無理はしないでね。

 

もう全てが嫌で嫌でたまらなくて、全て捨ててどっかに生きたいときも、意外と近くに同族がいるかもしれないよ。

 

自戒。

 

 

 

独りよがり。

最近プライベートで人とかかわる時間が全くない。

基本好きなことしかしてないけど、好きなことは全て独りでやれること。

友達もそれほど多くないし、近くにいないってのも大きいよね。

 

こもりっぱなしならそれはそれでいいかなぁ。

何事も楽しむにはレベルアップしないといけないから、あと何年かは自分の好きなことをちゃんとまわりに胸はって言えるくらいのレベルまで成長しよ。

 

 

でもね、どれだけ好きなことに毎日没頭してても、今日みたいな日は辛くなるよね。