本気から娯楽。
娯楽は経済が回って、人間がまともに生活できて初めて成立するものなのだと、最近強く痛感する。
今まではあって当たり前のものだった、余暇の楽しみである娯楽を、手放しでは楽しめない近頃。
今までの何も気にしないで生きていた日常がいかに幸せなことなのか、と。
普遍である幸せ。
やりたいことの選択権が自分に存在する幸せ。
時間をもて余せる幸せ。
多くの人間が無い物ねだりであり、欲求に対してとても前向きなのがよく分かる。
それと同時に、多くの人間が制約に対して後ろ向きなこともよく分かる。
かくいう自分もその一人。
今月末には、山の中を50㎞走るレースがあり、それは今年一番楽しみにしていた大会だ。
昨年そこそこの記録を出すことが出来たため、今年は上位を狙おうという気持ちも固めていたが、中止を余儀なくされた。
中止の速報を聞いたとき、自分の中には安心感が広がった。
自分の楽しみよりもリスクを回避することを心が優先した。
仕事に穴をあけてはいけない。
体を壊すわけにはいけない。
家族にも迷惑をかけたくない。
そのためには、限りなくリスクは避けて通る。
知らず知らずのうちに、ここ数年で自分の中の優先順位は大きく入れ替わっている。
一年前までは、スポンサーを獲得したいとも思っていたが、その気持ちも今は枯れつつある。
0か100でしか考えられない自分は、競技に対しても、辞めるか最強の市民ランナーを目指すかしか残されていない。
今後競技に取り組むにはそれ相応の覚悟が必要。
何事も中途半端ではやりたくないね。